仲間たちの紹介≪仲間たちの紹介≫「和智 香」 26歳。明治大学工学部卒。 在学中に世界一周にて放浪を経験し、帰国後”日本ヒッチハイク連盟 ”を結成、初代会長に就任する。 一年に二回、全国縦断ヒッチハイク大会を主催。 ”お前も来るか!中近東!”、”親指一本の旅”、”ぶらり放浪術”な どの著書あり。 今回の大会後、アフリカへ行く。 「ガン」の編集長でもあった。 * 「和智 政雄」 22歳。モーターサイクルエンジニア(ヨシムラ)。 会長の弟で埼玉県出身。 ヒッチハイク協会、二代目会長。 今回の大会では、外国への旅での経験がなく、一時的に初代会長は返り 咲いて企画された。 日本には、”瞳チャン”と言う、婚約者がいて、アテネで結婚式を挙げ る予定が、彼女の身体の調子が悪く、アテネまでこれないと言う連絡が 入り、政雄・・・・がっかり! * 「新保 二三夫」 21歳。通称”シンボ”君。 いつも銀縁のメガネをかけた、ヒョロ長い長身の男。 気の弱そうな、それで居て少しムキになるところがある好青年。 関西人特有の柔らかさがある。 今回、タイあたりで”早く日本に帰りたい!”と嘆いていたのに、イス タンブールで再会して見ると、自信に満ち溢れていた男。 * 「山中 千春」 21歳。通称”チハル”。 関西大学三年生。 授業をすっぽかして、参加したと言う。 参加して来たのは、インドのデリーから。 飛行機でインドに降り立った。 途中参加。 * 「深川 鉄臣」 19歳。通称”テッシン”。 高校を卒業しながら、今回の大会に参加するために、本物の学生証を手 に入れようと、会長にそそのかされて、もう一度夜学に入学した。 夜学一年生ながら、早々と休学して大会に参加。 ”俺、絶対卒業するからね!”と、この大会ずっと会長のお供をした。 会長もテッシンの両親から頼まれて、会長に手を引っ張られ、完走した 唯一の高校現役生。 * 「小平 三夫」 1952年生まれ。山形大学農学部卒。 在学中に渡米。およそ半年かけて、南北アメリカ大陸を縦断するという 快挙を成し遂げる。 途中参加の一人で、沖縄へ向う船中で一緒になり、参加を決める。 途中、酷い肝炎にかかったとかで、目が異様に黄色かったことが印象深 い。 * 「W君」 1954年生まれ。修成建設専門学校卒。 建設会社を辞めて参加。 大会には、五回大会から参加していると言う。 私と入れ違いで参加しているので、顔をあわせたことはなかった。 タイで女に金とパスポートを盗られ、一番最後までタイに残った男。 それでも、仲間たちのカンパで、意地で完走を果たした、ドジな男。 * 「渡辺 真彦」 1953年生まれ。駒澤大学卒。 彼も途中参加。情報によると、沖縄で金を盗られ、一度日本に戻り再挑 戦し、インドでマラリアの熱病にかかり、二週間ばかりインドで静養し た後、アフガニスタンで又も行方不明。 いまだに何の連絡も無し。 何事もなければ良いのだが、一番心配な参加者だ。 * 「外園 玲子」 21歳。OLで会長の奥さんの妹。 会のマスコット。 この十月五日に奥さんと一緒に日本を発って、ソ連経由にてアテネに入 る。 ボーイッシュで活発な可愛い女の子。 * 「和智 悦子」 ?歳。会長の奥さん。 ソ連経由にて、閉会式に参加するためにアテネ入り。 第二回大会で、北海道・網走にて初めて会い、結婚式に参加させてもら う。 現在では、”新太郎君”、”真美ちゃん”を連れてやってきた。 なかなかの・・・・・美人妻なのです。 * 「東川 義彦」 1952年生まれ。国士舘大学建築学科卒。 一年ちょっと勤めた建設会社を辞めて参加。 第一回大会から四回大会まで参加。 そして、今回の第十回記念大会に参加。 * そのほか・・・数人。 参加しているのかどうか不明。 完走者・・・・七人。 途中参加者・・二人。 行方不明者・・一人。 棄権・・・・・二人。 ”出版社を紹介するから、今回の旅行記をまとめて見ろよ。”と、和智 会長にそそのかされて、今の俺は・・・・その気になっている。 ジャンル別一覧
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